ファンだった長嶋茂雄氏のご冥福を祈って
- ミウラ
- 6月3日
- 読了時間: 3分
更新日:6月5日
小学校低学年だったと思う。
母に連れられ、当時田園調布に住んでいた親戚を訪ねたことがありました。
その家の方が退屈そうにしていた兄と私に、すぐ近くの多摩川の巨人軍のグラウンドに行ってみたらと勧めてくれました。
2人でウロウロしながら、初めてプロ野球選手を近くて観ることができたのです。
なかでも目がくぎ付けになった選手がいました。

背番号3番の長嶋茂雄選手です。
すべての身のこなしが躍動感に溢れていて、大げさではなく、まさにそこだけ後光がさして見えたのです。その時の光景は60年?たった今でも鮮明に目に焼きついています。
「オーラ」という言葉が一般的ではなかった時代、私は後光がさしていたとか、天使の輪っかが見えたとか人に説明していました。
長嶋ファンとなった私は彼の現役中や監督時代はひたすらジャイアンツを応援しました。体から発散される輝きや明るさ、言動の面白さにいつも元気をもらっていたように思います。
監督時代には、たまたま当時夫がプロ野球の報道に関わる仕事をしてたので、よみうりランドにあったジャイアンツ球場に同行して監督の追っかけをしたこともありました。やはり半端ないオーラで周りを照らしていました。そばに行って肩を触ってみた時の温かさも忘れられません。
長嶋さんが監督を引退すると、プロ野球に対する興味はほとんどなくなりました。
野球ファンではなく、巨人ファンでもなく、私は長嶋ファンだったのだと気づきました。
以来数十年、サッカーのワールドカップやオリンピックなど他のスポーツは応援したりはしましたが、プロ野球を観る機会はほとんどなくなっていました。
再び観始めたのはコロナ禍がきっかけでした。
暗いニュースばかりの2020年と2021年、唯一明るいニュースを届けてくれたのがメジャーリーグ、エンゼルスで大活躍する大谷翔平選手でした。
彼のプレイ映像をテレビで見ていると元気をもらい、気持ちが和みました。60年前のあの後光、天使の輪、オーラが蘇ったのです。
同じ躍動感、同じ明るさ、笑顔、前向きな姿勢……(花巻東高校で注目選手だったことも日本ハム時代の二刀流も知っていましたが、プレイを真剣に観ることがなかったので気づけずにいました)。
これまでプロ野球には王選手や野茂選手、イチロー選手、松井選手など、他にもスーパースターはたくさんいますが、長嶋選手と大谷選手はちょっと違います。プレイで人を引き付ける魅力、天性の明るさ、見ていて楽しい感じ、ここぞという時の集中力は二人だけです。言わば「陽のスーパースター」という感じで、他とは一線を画しています。
今朝、そんなスーパースターの一人である長嶋茂雄さんが89(やきゅう)歳で亡くなりました。
ひとつの時代が終わったのだと感じました。とても悲しいニュースでしたが、脳梗塞でマヒが残っても後ろを向くことなく、ひたすらリハビリを続けていたことを知っています。後を行く私たちも、そこから学ぶことがたくさんありますね。
この春、二人のスーパースターが共演するCMが放映されたのを覚えていますか?
私はとても嬉しかったです。「そしてバトンは渡された」という感じですね。
お二人からの「SECOMしてますか?」の問いかけに「はい、してます!」と大きな声で返す私を家族は冷ややかに見ていましたが。
慎んで長嶋茂雄さんのご冥福をお祈りいたします。
何十年もの間、ワクワクするような楽しい時間をありがとうございました。
<追記>
せせらぎ館でのレッスンの帰りに、近くなので長嶋さんが通っていた宝来公園まで足を伸ばして散歩しました。インスタグラムに写真上げています。せせらぎ公園に劣らず、起伏のある緑豊かな公園です。(mmatsumi_seifcare またはエムズ・セルフケア で検索すると出ると思います。
今後は主に写真はインスタグラムで発信しますので、フォローいただくと嬉しいです。
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