追悼―エムズ最高齢のYさんが旅立ちました
更新日:2023年3月15日
ブログを始めて間もない頃(2019年9月)、「シニアの健やかライフのお手本」というタイトルでご紹介したYさんが8月30日、天国に旅立たれました。
93歳11か月。長寿を全うしました。
「Yさんと接していると、私たちがこれから歳を重ねていくうえで大切なことは何かを教えられます」と書き、ヨガに限らず、様々なことに意欲的にチャレンジし、楽しんでいるYさんの健やかライフをご紹介しました。
元々は、私の中学・高校の同級生のお父様として知り合いましたから、かれこれ50年近くの長いおつき合いです。
いろいろなご縁があり、子育て期は、私の娘共々お世話になりました。

でも、やはり最も印象深いのは、出張ヨガレッスンでの最後の8年間です。
ヨガの指導者として大切なことは、その方に適したヨガを安全な形で提供することです。
生徒さんが高齢になればなるほど指導する側のスキルが問われますから、私はYさんのお蔭で、たくさんの経験を積み上げることができました。
今年になってからでしょうか、ヨガをやっていてもすぐにハーハーと息苦しい様子が目立つようになりました。
肺ガンの持病をもっていましたから、それが進行して苦しかったのでしょう。
年齢も考え、ヨガは4月に卒業ということに。
そして、7月下旬に異変が起きます。
救急車で近くの病院に運ばれ、その時は事なきを得たのですが、末期ガンが骨に転移していることが判明し、転院して放射線の治療を始めることになりました。
入院生活が続いたことで、残念ながら車椅子になりました。
コロナ禍ですから、最愛の娘さんとも面会できません。
Yさんは、それでも前を向きます。
ナースステーションの傍らでリハビリ体操や塗り絵を行っている写真が、娘さんのスマホに送られたのは、その頃です(下の写真)。Yさんが看護師さんに頼んだとのことです。
ガンは告知されていましたが、進行を遅らせる治療に希望を持って頑張っていたのです。
8月下旬、放射線の治療もあと少しになった頃、入院先で心筋梗塞の発作を起こし、事態は急変しました。
10日間、点滴による薬物治療で望みをつなぎましたが、30日の深夜に息を引き取りました。
お別れの式は、クラシック音楽をこよなく愛したYさんの希望で音楽葬に。
生前からのリクエストは、メンデルスゾーンのヴァイオリンソナタ。
プロのヴァイオリニストによる生演奏にしました。
ご自分で写真館に行って撮ったカッコいいスーツ姿の遺影の写真が、この日のために準備してありました。
参列してくださった方々に、音楽で心癒されるひと時を過ごしてもらいたい…という思いが込められた、とても心温まる式でした。


コロナ禍ですから、近しい人だけの一日葬となりましたが、Yさんは、実はご自分の葬儀に参列した皆さんが通夜振る舞い等で退屈しないようにと、自分史にもなるような写真入りの手作りの冊子を大量に準備していました。
卒寿 Plus one(91歳)から93歳の時に皆さんからいただいたたくさんのメッセージ集、お仲間との交流会の写真、数年間通ったフラワーアレンジメントの美しい作品集……etc.
細かい作業もいとわず、丁寧に、一冊一冊がきちんとした作品に仕上がっています。
それを見ると、皆さんから愛されたYさんのお人柄がすぐにわかります。
「自分が大好きな人でしたから」と、娘さんが微笑みながら、参列してくださった方々にその冊子を見せていました。
「自分が大好き」って、実はとってもステキなこと。
「あの人に比べて私はダメ」
「前はできたのに、できなくなった私はダメ」
世間という外側のものさしに当てはめて、自分を好きになれなくて苦しんでいる人がたくさんいます。
自分のものさしで内なる自分を認め、大切に思い、肯定できなければ、心から人を大切に思うことはできません。
亡くなってからも、私はYさんからたくさんの「エール」を送られたように感じています。
最後に、亡くなる前日に読んだ新聞のコラムの一部を紹介したいと思います。
私の敬愛する医師であり作家でもある鎌田實さん連載「コロナに負けない生き方」(日刊スポーツ)の最終回の記事を抜粋します。
「大嫌いな言葉があります。『いい年して』、『年がいもなく』。
何歳になっても、やりたいことをやればいいのです。
そう思って生きてきました。
『いい年して』好きな人ができた…最高だと思います。
『年がいのない』派手な服…いいなあと思います。
世間の目なんか気にしなくていいのです。
勝負服と決めて、ジャケットの下に赤いシャツを着て、オートレース。
かっこいいと思います。
好きなことをすればいいのです。」
Yさんも、お洒落にはこだわりをもっていました。
高齢になると、できることが限られることも事実ですが、制限された中でも、好奇心を持って自分が楽しめること、自分をブラッシュアップできることをやり通したYさんの行き様は本当にステキでした。
亡くなる3日前、主治医の先生の説明に私も同席しました。
状況は極めて厳しいとのお話しでしたが、こう付け加えてくださいました。
「肺ガンの宣告を受けて3年。その間、何事もなく元気に過ごし、放射線治療のため転院した時点で、あれほど自立していて、しっかりと受け答えできる方は滅多にいません。素晴らしいことですよ」
ヨガ指導の最後の頃のことです。レッスン前に私が「体調は大丈夫ですか?」と尋ねると、
「毎日がとっても幸せです。ご飯も美味しいです」と応えてくださっていた声が、まだ私の耳に残っています。
Yさんのお名前は、山下昭三さん。
感謝と共に、心よりご冥福をお祈りいたします。
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